<カントにおける感性と悟性との総合としての構想力について>

2019/03/28

<カントにおける感性と悟性との総合としての構想力について>

 カントは『純粋理性批判』において感性と悟性との間の媒介として構想力(Einbildungskraft)について語っているが、その試みは成功しているとは思えない。この考えはどうだろうか?(以下にこの点に関する引用を挙げておく。「感性と悟性という両極端は、構想力のかかる先験的機能を介して必然的に結合せらねばならない、さもないと感性は、なるほど現象を与えるかも知れないが、しかし経験的認識の対象を、従ってまた経験を与えることができないからである。」篠田英雄訳、邦訳[下] pp.169-170.原書p.124.)。