デカルトの「我思うゆえに我有り」について補足

このデカルトの「我思うゆえに我有り」については、落合太郎訳p.45.及び原書GF-Flammarion,p.60.参照。

2019/03/20 <デカルトについて>デカルトの方法論的懐疑である「我思うゆえに我有り」は、たとえ神が私を騙したとしても担い手としての私の存在は疑い得ないという主旨のことを述べた。この命題は正しいと私には思われる。

<「新実在論」とデリダとの比較> 「新実在論」の基本的コンセプトは「世界は存在しない」ということである。そして、マルクス・ガブリエルによれば、「新実在論」はポストモダンを越える試みだという。しかしポストモダンにデリダは属していない。その証拠に…

<デリダの自己矛盾について> 私見によれば、デリダは自己矛盾を犯しているのではないか?というのも、『声と現象』において、エクリチュールについて言語自立性論的立場をとっておきながら、「議論の倫理学へ向けて」(p.253.)において「差延(la différance…

今後、哲学関係の話を書いていく予定です

この論文草稿は平成13年以前ぐらいに書いたものです。

知識人としての「西田研究入門」

近代日本思想研究会編 知識人としての「西田研究入門」 高井雅弘 「現在」における西田哲学の学としての復権およびその再検討はそれ自体喜ばしいことである。1911年は日本人による「独創的な」哲学的テクストが誕生し、そしてある意味では日本哲学史が始…